このブログの作成者の河内の政のプロフィールといいますか、リスナー歴のようなものです。これを読んでいただければ、だいたい私のラジオに対する嗜好の傾向や考え方の根っこが解っていただけるのではないかと思います。
・ファーストコンタクト
私が生まれた時にはラジオ放送はありましたので、厳密に初めてラジオを聞いた瞬間は憶えていませんが、小学生の頃には「ありがとう浜村淳です」を聞いた記憶があるので車などで親が聞いていていっしょに聞いていたのでは無いかと思います。
ただ、自分の意志でラジオを聞き始めたのは割と憶えています。それは小学校高学年くらいの時でした。英会話の教材のカセットを聞くという名目で親にラジカセを買ってもらいました(もちろんそんな使い方はほとんどしませんでしたが)。初めて買ってもらったので嬉しくて、とにかくスイッチを押しまくっていました。時刻は22時を過ぎた頃です。突然、スピーカーから「イルカ仮面だあ〜」という可愛い声が流れてきました。「可愛い声だなあ」と思いながらどんどん引き込まれていきました。この可愛い声の主、イルカさんの「MBSヤングタウン火曜日」との出会いが私とラジオとの原点です。
・ヤンタン時代
最初の出会いから急速に「MBSヤングタウン」への興味が深まり、新聞で番組名を調べたりして全曜日を聞くようになりました。当時はバブルの始まりの頃だったでしょうかラジオも華やかな時代だったと思います。最初の出会いから1年くらい経つと学校にも聞いてるやつがいるのが解ってきましてヤンタン談義をしたり、知らない友人に勧めたりしました。私は投稿はしませんでしたが誰かがハガキを読まれると隣のクラスからでも噂が聞こえたりしました。その頃は私としてはラジオ=ヤンタンでした。
また当時今で言うところのアニヲタだった私は「アニメトピア」などのアニラジ(当時はそんな言葉はなかったですが)も聞くようになってきました。この辺りに感じたことが今の私のラジオに対する考え方の基盤になっているように思います。
・暗黒時代
ラジオを聞くきっかけが受験勉強というのは結構ポピュラーだと思いますが、私は高校や大学の受験勉強の頃になるとあまりラジオを聞かなくなっていました。嫌いになったとか飽きたとか、これといった理由はありませんでしたが、今思うと「ニュースステーション」が始まった辺りで良くラジオを聞いていた時間にテレビを見るようになった気がします。周りの友人は「ヤンタン」や「オールナイトニッポン」の話をしていましたが、あまりよく解りませんでした。番組年表などを見ると憶えているものもあるので、全く聞かなかった訳ではないようですが、この頃の番組はあまり記憶にありません。
暗黒時代の初頭、ちょうど高校に入った頃、今思うと変で恥ずかしいのですが「高校生になったんだからカッコイイFMを聞こう」と思い、「ジェットストリーム」などをちょっとだけ聞いていました。洋楽とか全然知らなくて正直あんまり面白いとも思わなかったのですが、当時はFM聞くのがカッコイイと思ってたんですね。
・ダラダラ時代
大学に入ると通学時間が手持ちぶさたになり、ラジオをまた少し聞き出すようになりました。大学は怖いところでどれだけサボっても誰も何も言ってくれません。よくある話ですが、2回生くらいから頻繁に学校をサボるようになりました。とりあえず昼過ぎに家を出てブラブラして夜に帰る。まだ遊んでいたのならいい経験になったかもしれませんが、遊ぶ訳でもなく電車に乗ってダラダラしていました。自分がいかに本質的にだらしないかがよく解った時代でした。
そんな生活をしていましたので、この頃はMBSラジオやKBS京都ラジオ(当時はABCラジオはあまり好きじゃありませんでした)の朝の番組から超深夜番組まで色々な時間帯の番組をよく聞いていました。「オールナイトニッポン2部」を聴いて昼まで寝る。そんなこともよくやってたように思います。
・ラジオ好き自覚時代
なんとか大学を卒業し、会社員になるとさすがに大学時代のような事はしていられなくなりまして、朝目覚まし代わりにラジオで起きて、そのまま聴きながら出勤という生活になりました。私の入った会社はとても残業が多く、年を重ねる毎にだんだん帰りが遅くなり、仕事しながら気晴らしに何年かぶりに「ヤンタン」なんかも聞くようになってきました。時には「オールナイトニッポン」や「歌うヘッドライト」を仕事しながら聞くこともよくありました。連日会社に泊まって聞く気もなかった早朝の浪曲番組を一週間毎日聞く羽目になったりもしました。
そんなある日私は残業中にヘッドフォンでラジオを聞いていました。 すると先輩が「何聞いてんの?」と尋ねてきました。「ラジオですよ」と私は答えました。続けて先輩が「FM?」と尋ねてきました。「いやAMですよ」と私が答えた後の先輩の発言はこうでした。
「へえ〜変わってるね」
この言葉が結構衝撃的でした。「AMラジオを聞くのが変わってる?」私には思いもよらない言葉でした。私としてはラジオといえばAMが当たり前の感覚だったのです。
しかし、ふと考えました。会社でもラジオを聞いている人はいましたが、すべてといっていいほどFMでした。人の車に乗せてもらうとラジオがついていれば、まずFMが流れています。街を走る車を見ればFM802のステッカーが貼られています。よく考えてみるとAMラジオが私の周りではほとんど聞かれていないような気がしてきました。そういえば高校の時以降、ラジオ番組についての話などほとんどしたことがありません。
「ひょっとして俺ってすごいAMラジオ好きなんじゃねえか?」そう思ったのが初めて私がラジオ好きだと自覚した瞬間でした。
テレビを毎日見るからといって特別テレビ好きとは思わない人が多いと思います。私にとってラジオはそんな存在だったのです。朝ラジオで起きて移動中の気晴らしにラジオを聞いてというのが日常でした。
ちょうどその頃インターネットを見始めていた私はラジオ関連のホームページや掲示板を見るようになり、そこで語られている文章を読んでAMラジオのちょっと寂しい現実の一端を知りました。
それと同時にそこで語られている昔の番組の話から最近の番組の話までが結構理解出来て、なんか楽しくなってきました。それからというもの、ネットでは掲示板に参加したり、ラジオ関係のイベントに参加するようになったり、ラジオが気晴らしの存在だけでなく趣味的な楽しみになってきました。この辺りから「漠然となんとなく聞いていた」から「好きで聴いている」に変わってきました。
・ネット時代
ラジオ好きとしてラジオを聴くようになってしばらくすると、当時かなり普及してきたインターネットを頻繁に見るようになってきました。好きな番組名なんかで検索してラジオ関係のホームページをよく見るようになりました。そんなある日「Yahoo!掲示板」のラジオカテゴリーへと辿り着きまして、覗いてみるとそこにあるトピックの数々が非常に興味深く、最初は眺めているだけだったのですが、だんだん自分も参加したくなり、その頃一番好きだった「MBSオレたちやってま〜す」のトピックにtatata_463というハンドルネームで書き込みをするようになりました。「ラジオは一人で聞いて楽しむ」から「ネット上で気軽にリスナー同士で感想を語り合う」へ。なんか時代の変化を強烈に感じました。そこで自分でもやってみようと思い、このブログを開設しました。
・東京時代
そんなラジオ生活を送っていたのですが、2009年初頭に転勤により生まれ育った大阪を離れ、東京へ移り住むこととなりました。地元の大阪のラジオで育ってきたので引き続き聴きたかったのですが、距離の壁はなかなか厚く、東京のラジオを聞くようになりました。「ラジオは大阪の方が面白い」という考えも正直あったのですが、さすがキー局で、聞いてみると東京の番組も面白く、すっかり東京のAM局中心のリスニングライフになりました。とはいえ、大阪のラジオ、とりわけMBSラジオは捨てがたく、遠距離受信などいろいろやりながら聞き続けています。
・大阪復帰
2012年病気により、3年弱の東京生活にピリオドを打ち、故郷大阪に戻ってまいりました。
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