今日は1月17日
この日は関西人としては忘れられない日であります。阪神大震災の日であります。もうこんな被害の出る自然災害は無いだろうと思っていましたが、まさか数倍の被害の地震がおきようとは。まあ東日本大震災は地震というより津波の被害ではありますが。
毎年書いてるような気はしますが、ここはラジオのブログですので災害時のラジオのお話を
私は阪神の時は大阪で、東日本の時は東京でどちらも被災地からちょっと離れて住んでいました。被災という意味では東日本の方が被災しました。阪神の時は私の部屋はまな板が倒れただけでしたから。東日本の時は建物がけっこう免震構造でしっかりしていたのと、地震対策もしっかりしてあったので何もたおれませんでしたね。ただ帰宅難民になりました。「東京もろいな」と思いましたね。地震当時は恵比寿という所にいたんですが電車が動かなくなったので山手線沿いに原宿の近くの会社まで歩いて帰りました。渋谷が人多過ぎてなかなか抜けられませんでしたね。
当時の東京のラジオは被災地の放送ではありませんでした。当時も書いたと思いますが阪神の教訓が生かされていたと思います。被災地のラジオ放送というのはもっと重いものです。
阪神の時は被災地のラジオ放送でした。連日朝から晩まで流れていたのは、生活情報と安否確認。どこそこに給水所があります。とかお風呂はどこで入れますとかそういう情報です。安否確認は確か亡くなった人とか避難所にいる人とかをずっと読み上げるというものです。お笑いバカ番組が不謹慎というのは解るけれども、聞いていてあまりに重い。まあラジオ切ってテレビにしても同じようなものでしたが。そのうち曲がかかるようになりました。これが被災者に評判よかったようです。で東日本の時はオールナイトニッポンが震災情報を入れつつもいち早く通常放送に戻してくれました。当時異常なまでの節電で深夜でも電気を消していましたのでくらい部屋で聞こえる耳慣れたパーソナリティの声に励まされました。当時余震で震度4とか5の地震はひっきりなしにありましたから。ぐらっときたら緊張してました。当時は手足動いてたからすぐに逃げられましたが。
通常放送に戻るのが早かった。これは阪神の教訓だと思います。リスナーが求めているのは情報もだけど、いつもの声であること。そして少しでも安らげる音楽であること。これは関西の放送局には落ち着いてから多くのリスナーから寄せられた声でした。それが解っているから、東日本の時の在京局は過剰に重すぎない対応をしたと思います。東北の局はまた違ったとは思いますが、
あの頃の大宮エリーさんの声と福山国王の放送は忘れられないというか内容自体は忘れましたがANN月曜やるんだ、魂ラジやるんだっていう日常感はうれしかったですね。
もう故人になってしまいましたが、阪神の時の河村龍一さんの「落ち着いて下さい」の絶叫も忘れられないな。現実を把握してなくてのんきにシャワー浴びてたけど。もしガス漏れてたら大爆発だよなあ。危ない危ない。
ということで災害に疲れたリスナーの心を癒すのは特番で情報を流すよりいつもの声いつもの歌だったと思います。人々が欲しかったのは日常だったと思うから。
阪神の当時大阪は申し訳ないくらい普通でした。一部北大阪なんかは被害があったようですが、私の住んでいた東大阪は申し訳ないくらいまったく普通でした。
東日本の時の東京ではちょっと恐怖でしたが、流通の不思議でコンビニ弁当が全く入らなくなっていましてコンビニの棚がスカスカでした。吉野家とか松屋は普通に営業してましたが。水道は大丈夫でしたが、コンビニのお茶や水が無くなっていました。ほんとにここ日本の首都かと思いましたね。モロかった。まあペットボトルとかはどんどん東北へ送ってあげてくれとは思いましたが。次に水道水からセシウムか何かが検出された時はマジで恐怖しました。まあ出張にかこつけて大阪に逃げましたが。
もう被災地ラジオは聞きたく無いな。私はカバンに携帯ラジオと電池を常に入れています。だってこんなにラジオ好きでよく聞いているのにいざという時に聞けないっていうのは悔しいから。RADIKO
でも聞けるけど、スマホは電池早く切れそうだから。
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