2022年3月25日 (金)

道上洋三さんおはパソ卒業

今日2022年3月25日金曜日「おはようパーソナリティ道上洋三です」の道上洋三さんんが番組を卒業されましたと言っても道上洋三さんはいらっしゃいません。現在脳梗塞でお休み中なのです。45年続けた番組の最後に出演できないのは無念でしょう。リハビリ中とのことで。手足の麻痺であれば車椅子とかで出演は可能だったと思いますが言語障害だと難しいよなあ。ご本人も言葉が出てこないのはもどかしいだろうし仕方ないですね。録音ででもご挨拶あるかもと思っていましたが無かったですね。私も脳の病気の後遺症で左半身麻痺になったのですが体の麻痺より言語障害は辛いと聞きました。意志が伝わらないのはもどかしくて辛いらしいです。想像するにリスナーが心配になるくらいの状態なんじゃ無いかな?
昔は毎朝聞いていましたが最近はおはパソ聞いてなかったのですが今日は聞きました。番組自体は継続して後任は小縣裕介アナウンサーと金曜日は古川昌希アナウンサー。テレビの夕方の情報番組が終わりと聞いて上田剛彦アナかなと思っていましたがガッチですか。まあ悪い人選では無いと思います。爽やかで元気だし朝の番組にも似合うと思います。
ラジオ祭りで年に1回道上さんのお姿を見るのが楽しみでした。私がリハビリして歩けるようになった時も会いに行きました。メール読んでもらったり草野球とかイベント行ったりおはパソには色々思い出あるなあ。道上さんと浜村さんどちらが先にやめるかなと思っていましたが道上さんでしたね。道上さん卒業が今年の関西のラジオの最大のニュースですね。

 

2022年1月29日 (土)

道上さんおはパソ卒業かあ

道上さんが3月でおはパソを卒業するらしい。
脳梗塞を昨年起こしたそうで現在リハビリ治療中だとか。
私も脳の病気をやったが歩けはするが左半身麻痺が残った。
麻痺が起こらなければ問題ないが、起こってしまうとなかなか治らない。
リハビリすれば治るわけでもないのだ。
私の場合は脳が部分的に死んでいるので奇跡でもなければ無理と言われています。
道場さんは言語障害もあるらしい。
仕事柄これは厳しい。
だがいたし方ないでしょう。
ただABCラジオにとっては大打撃になるかもしれない。
道場さんのおはパソだからスポンサーについていた企業も合うでしょうから
スポンサー離れが起きなければ良いのですが。

2014年3月31日 (月)

祭りが始まった。

今朝オハパソのアシスタントが吉田詩織さんに変わりましたが個人的にはほとんど違和感無かったです。阪神が3連勝していれば六甲おろし6番くらいまで歌ってたんでしょうけどね。野球が始まると大阪のラジオはお祭りです。今年もプロ野球が始まりました。今年はABCMBSが10時から夜ワイドを始めるのでかなり野球の影響受けそうですが、MBSの方は長時間録音で対処しようと思います。早速昨日から22時から朝4時まで録音テストしました。成功です。まあ毎日全時間は聞きませんが。

2014年3月28日 (金)

キューちゃん卒業

今朝オハパソのアシスタント久野愛さんが最後の放送でした。彼女が担当していた期間の大半は私はは東京にいたので、聞けなくてすごくなじみは薄いのですが、後任はスタッフの方だそうで驚きです。まあ久野さんも元はリスナーなのでアナウンサーやタレントさんじゃなくてもつとまるんでしょうね。ほとんど道上さんしゃべってるし。そういう意味では英美ちゃんは負けずによくしゃべってたなあ。スプリングフェスタで拝見しましたがHPの写真とは少々雰囲気違いますね。大学皆勤賞だとか。考えられませんね。すごいです。

2013年6月 6日 (木)

まだやってたんだな。阪神タイガース劇場。

久しぶりに国家斉唱聞きました。MBS好きの父親に会社に車で送ってもらってるのでカーステでてんこもり聞きながらスマホで「おはパソ」という変則聴取でした。今年はそこそこ調子いいんで阪神タイガース総監督もまずまずのご機嫌でしょう。

2013年5月30日 (木)

今朝おはようパーソナリティ道上洋三ですを久しぶりに聞きました。

一人暮らしじゃなくなったので朝にラジオガンガンかけられないのもあって最近きいてなかったのですが、携帯変えてradiko使えるようになったので、通勤の際に聞いていました。なんか道上さんの声を聞くと心安らぎますね。そういうのが朝昼の番組は大事なんですよね。京都水族館の方がゲストで出演されていましたが私は水族館好きでいろんなとこにいってるんですが個人的には京都水族館はあんまり好きじゃないんですよね。大水槽がいまいち迫力が無いと思います。十分大きいんですけど海遊館とか八景島とかの大水槽を見慣れると少々小振りに感じられます。目玉があんまりないんですよね京都水族館は。オオサンショウウオがたくさんいるのが目玉なんですけど茶色なので地味なんですよね。地元密着はいいんですが甘鯛とか鯉とか魚屋に並んでるような魚よりジンベイザメとか大きいサメやエイが水族館では見たいものです京都水族館のカエルの話がありましたが、イベントやってるんですね。カエルなつかしいなあ。中学の友人でカエルが好きな子が居て毎日のように網持って採りに行ってました。もはや自転車にも乗れない身体なのでカエルのいるような足場の悪いとこには行けませんが懐かしい思いでです。

2012年7月 4日 (水)

おはパソ35周年

東京に転勤する前は朝といえばABCラジオおはようパーソナリティ道上洋三を聞いていたのですが、今は親と同居なもので目覚まし代わりにラジオをかけられないので大阪に帰って来たのにすっかり聞かなくなりました。入院中にテレビをイヤホンで聴くのがわずらわしいのでテレビを見ないというおじいちゃんがいたのですが、これすごくよくわかって、親と同居してラジオをヘッドフォンで聴かないといけなくなったのが非常に煩わしいです。今まで大きな音でガンガンラジオを鳴らしていたのが懐かしいです。いままでもヘッドフォンは使っていたのになんか煩わしいです。でおはパソは35周年ということで、記念本が出ていたのですが、本屋に買いにいったところどこにあるのか全然解らない。足が悪いのでぶらぶら探すのも辛く、結局アマゾンで買いましたが、アマゾンの良さが際立ちました。大好きな番組でしたが、しばらく聴いていないとちょっと付いていけないとこがありますね。専用アプリも作成されたようですが、スマホじゃないので見られないのが残念です。

2011年6月13日 (月)

二十歳のおばあちゃん

たまたま早く出勤したので久しぶりにABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」を久しぶりにクラリネットポルカから聞きました。何回かは聞いたことがあるのですが、久野愛さんのオープニングの挨拶を聞いたのは初めてでした。遅く起きたと思っても朝の6時半という話をされていましたが、早朝の番組やるとそうなっちゃうんでしょうね。
毎朝聞いていらっしゃるリスナーさんはもうすっかり慣れているんでしょうけど、今となってはたまにしか「おはパソ」を聴かない私には、まだ大阪にいた頃に長年聴いていた秋吉英美さんのリズムが耳に残ってるなと思いました(笑)。
久野愛さん物怖じせずにしゃべってますね。この番組はアナウンサー口調というかアシスタント口調じゃなくて普通の会話風なトークがいいですね。それが出来る人ということで久野さんが選ばれたんじゃないかなと思いました。二十歳のおばあちゃんなんて言われていましたが、なんか良い家庭で育てられたって雰囲気がするなあ。

2011年4月 4日 (月)

久野愛さん「おはようパーソナリティ道上洋三です」アシスタント初日

4月4日はABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」で12年間アシスタントを務められた秋吉英美さんの後任の久野愛さんのアシスタント初日でした。最初からは聞けなかったのですが、少し聞きました。ニックネームが「きゅうちゃん」になったのですね。

初放送を聞いた印象は、思ったより声が出ているのと、道上さんとの会話が自然な感じですね。この辺りがオーディションで選ばれたポイントなんじゃないかと思いました。リスナーさんだったようですし、番組のノリや流れが掴めてていたのかもしれませんね。声は少々低めな感じに聞こえましたが、ヘリウム声とか言われた秋吉さんと比較してしまうからかもしれません。

まあ、あれだけの人気者の後っていうのは非常にやりにくいと思います。長寿番組の後をやるのって必ず比較されるしパーソナリティさんは嫌だっていう話はよく聞きます。逆ギレ的に思い切ってやってやろうっていう人も多いと思うのですが、久野愛さんはそういう変な気負いも無いような感じですね。なんとなく「おはパソ」でしゃべれるのが嬉しいって感じがよく伝わってくるような気がします。もちろん原稿読みとか頑張らなきゃいけないところはこれからたくさんあるし、批判の声もたくさん出るでしょうけど頑張ってほしいですね。少し聞いた限りでは楽しい放送になりそうな期待感は感じました。

2011年4月 1日 (金)

秋吉英美さん「おはようパーソナリティ道上洋三です」卒業

ABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」で12年間アシスタントを務められた秋吉英美さんが出産の為に番組卒業ということで4月1日が最後の放送でした。この日は聞かなきゃなと思い早起きして頭から聴きました。ラジオでよくある降板の詭弁じゃなくて心から長い間楽しい放送をありがとうと思える卒業ですね。

いろんなエピソードが紹介されていましたが、その中で「おめでとうの歌」を知らないのに雰囲気で歌っていたというのがありましたが、当時は私は「おはパソ」を聞いていませんでしたが、秋吉さんらしいエピソードだなと思いました。始めた当初、なんであんなのを採用したんやという声があったらしいですが。そうでしょうね。そんな声があったのも想像は出来るなと思います。
そんなにいろんな朝ワイドを聞いてきた訳ではないですが、私は秋吉さんは朝ワイドのアシスタントでは革命的とも言える方だと思いました。というのはメインパーソナリティとの受け答えで「はあ〜」とか「へ〜」とか言う朝ワイドのアシスタントを私は聞いたことがありませんでした。だいたい朝ワイドのアシスタントさんっていうのはアナウンサー口調で明るく爽やかに、あまり良い言い方をしなければ無難にっていう感じが私の固定観念でした。それを打ち破る方だと思いましたね。すっごく普通の話口調でしゃべるのが印象的でした。

秋吉さんのおしゃべりは正直上手いって感じではないと思うんですよね。だけどリアクションが素直で思ったことをそのまま言うみたいな感じが耳に心地よく、発想が業界人っぽくなくてリスナーに近い感覚で、聴いていて発する言葉がスッと言葉が心に入る感じだと思います。秋吉さんの採用理由みたいなのを聞いたことがありましたが、当時のプロデューサーさん(ディレクターさんだったかな?)がオーディションの中で道上さんとの会話が一番自然にしゃべっているような感じに聞こえたというような話でした。それを聞いてなるほどなと思いました。それが個人的に思う「おはパソ」の魅力なんですよね。

私が「おはパソ」を聞き始めたのは2001年か2002年くらいだったと思います。それまではMBSラジオの「ありがとう浜村淳です」をずっと聞いていました。ある日トミーズさんのラジオ番組で秋吉英美さんという人が面白いという話を聞きまして、ちょっと興味が沸いて「おはパソ」を聞いてみました。なんか新鮮というか不思議な感覚の番組でした。朝の情報ワイドなんですが、ある意味深夜のバラエティみたいな感じだったんですよね。「ありがとう浜村淳です」は浜村節が耳麻薬ともいうべき感じで病みつきのようになってしまうのですが、浜村さんは当時、時に女性アシスタントにちょっと厳しいことがたまにありまして、それが聞いていてちょっと嫌だなと思うことがありました。そういう時に「おはパソ」を聞き出したのですが、秋吉さんが非常に自由に楽しそうにしゃべっているように感じられたのです。個人的には「ありがとう」から「おはパソ」へのスイッチは道上さんというより秋吉さんがきっかけだったんですよね。

大ボケとか天然とか言われていた秋吉さんですが、最後の放送を聞いていて、さすが12年もやっていると落ち着いたもんだなと思いました。東京に移ってからは毎日聞いているわけではありませんので、余計にそう感じたのかもしれません。「おはパソ」は30年以上続いている番組ですが、その中でも12年は長いですよね。個人的には秋吉さんはアシスタントじゃなくて道上さんと同じくパーソナリティだと思っていました。アシストする人じゃなくて、番組を創っていくしゃべる人だと思うんですよね。

最後の天気予報が土屋多恵子さんの手紙のせいで涙で読めないっていうのがなんともな・・・って感じでしたが、秋吉さんらしいって感じもしました。公開放送では天気予報の後に拍手喝采だったのを懐かしく思い出しました。天気予報の原稿を読んで拍手がもらえる人も珍しいです。
高石ともやさんの歌、リスナーさんからもメッセージが来ていましたが、あれはホントに反則だと思います。あんなのやられたら泣いてしまいますね。
思い出のアルバム・・・これもちゃんと歌えるわけないですよね・・・あんなの泣くなという方が無理でしょう。最後の「も〜うすぐえみちゃんは〜おか〜あさん」っていうフレーズ最高に良かったです。

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